2006年
2006年GT最終戦
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で震源地に近いダンロップは甚大な被害を受け、国内モータースポーツ活動の一時休止を余儀なくされた。生産設備を一刻も早く震災前の状態に戻さなければならなかったからだ。それから7年後の2002年、ダンロップは全日本GT選手権(現スーパーGT)の「GT500」クラスで本格的なレース復帰を果たすことになる。

だが、モータースポーツは技術の進化が早く、1年間活動を休止すれば勝負できる体制に戻るまで2年、2年の活動休止なら3年はかかるといわれている。そのため7年間に及ぶ活動休止はゼロからのスタートではなく、事実上「マイナスからのスタート」だったといっていい。それでもダンロップは開発能力に優れた服部尚貴を擁し、短期間で「勝負できるタイヤ」をレースに投入している。そして復帰初年度に早くも予選でポールポジションを獲得するなど、長いブランクを感じさせないポテンシャルを発揮した。

こうして着実に進化の道を歩み始めたダンロップは、復帰からわずか4年後に全盛時の力を取り戻している。それを証明したのが2006年5月に富士スピードウェイで開催されたシリーズ第3戦だった。このレースで「マイナスからのスタート」に一貫して取り組んでいた服部とピーター・タンブレック組のBANDAI DIREZZA SC430が2位を5秒差に抑えて優勝を飾ったのだ。しかし、これはそのあとに続く栄光のプロローグにすぎなかった。

そして同年のスーパーGT最終戦にあたる11月のシリーズ第9戦、ダンロップ勢は練習走行からトップタイムを連発しファンの熱い注目を集めていた。その勢いは予選でさらに増し、ロイック・デュバル/武藤英紀組のEPSON NSX組が2位を0.8秒も引き離す圧倒的な速さでポールポジションを獲得している。2位も同じくダンロップを装着する服部/ダンブレック組のBANDAI DIREZZA SC430が占め、決勝への期待が俄然高まった。

フロントローを独占したダンロップ勢は翌日の決勝でも予選の勢いをそのまま持ち込み、スタートと同時に1、2体制を築いてレースをリードした。とりわけ圧巻だったのはデュバル/武藤組で、31周目のピットストップ以外、一度も首位を譲ることなく独走を続けることになる。それでもデュバルは、

「じつはクルマがかなりオーバーステアで、扱いがかんたんではなかったんだ。後半に(武藤)英紀が走っている間は祈るような気持ちだった」

という。その武藤は、「今回は週末からクルマの状態がずっとよかった。それ以上によかったのがタイヤで、ピットアウト後に2位との差を確認してから落ち着いて走ることができた。あとは黄旗とGT300クラスのマシンに注意して走った」 と語っている。こうしてデュバル/武藤組は2位を30秒以上も引き離し、独走状態のままチェッカー・フラッグを受けることになった。

その後ろでは熾烈な2位争いが繰り広げられていた。ピットストップ直後の4周を除いて、スタートから終始2位をキープしていたのは服部/ダンブレック組だった。だが、背後には柳田真孝/荒聖治組が猛烈な勢いで迫っていた。このとき2位を走っていた服部は復活したダンロップのタイヤ開発に中心的役割を果たしてきた男だった。服部は言う。

「レース後半はリア・タイヤを気にしながら走っていたが、逆にフロント・タイヤが厳しくなってきた。だけど、自分がずっとタイヤの開発に携わってきた以上、ワン・スリーで終わるわけにはいかないと思っていた」

その思いはレース結果に直結した。服部/ダンブレック組は最終ラップで一度は柳田/荒組に抜かれたものの、驚いたことに最終コーナーで再び抜き返して見せたのだ。そして柳田/荒組をわずか0.322秒差で振り切りって2位に滑り込んだ。服部のパートナー、ダンブレックはレース後に最後の数周についてこう語っている。

「クルマはちょっとアンダー気味だったけどよかったと思う。終盤はギリギリの戦いでドキドキしたけど、最後は2位で終わってハッピーだった」

こうしてダンロップは見事ワン・ツー・フィニッシュで2006年の最終戦を締めくくることになった。これこそ震災で一時は活動休止を余儀なくされたダンロップの復活を象徴するレースだった。



(黒井尚志)




スタートでポールポジションから勢いよく先頭に立つデュバル/武藤組のEPSON NSX。その右が2位に入賞した服部/ダンブレック組のBANDAI DIREZZA SC430



デュバル/武藤組は練習走行から他車を圧倒する速さを見せつけた。決勝でもピットストップ以外で一度も首位を譲らず、圧倒的な速さで優勝した。



場内をもっとも沸かせたのは2位争いで、服部/ダンブレック組が最終ラップで一度は3位に転落したものの、再び抜き返し0.322秒差で2位を確保した。



中央左が優勝したデュバル、右は同じく武藤。左端は2位の服部、左から2番目が同じくダンブレック。