日本初のF1レースである「F1選手権インジャパン」(日本GPの名称はJAF主催の別レースで使用されていた)は1976年10月に開催されている。このレースに京都のコジマ・エンジニアリングはオリジナル・マシンでの参加を決定、ダンロップにタイヤの開発を要請したのは前年11月のことだった。ダンロップはこれを快諾したが、F1タイヤのスペックなど知る由もなかった。そのため雑誌に掲載された写真からサイズを割り出して製造装置を作り、本番用のタイヤが完成したのは76年6月下旬のことだった。そして迎えた10月22日金曜日の予選1回目、KE007に乗った長谷見昌弘は1分13秒88という驚愕のタイムを叩き出す。トップからわずか0.12秒差の4位に入る好タイムだった。このとき、グッドイヤーのディレクター、デニス・クロバットは詰めかけた記者を前に「ワンラップ・スペシャル・タイヤで予選に挑むのは卑怯だ」と叫んだ。だが、KE007が装着していたのは決勝用のソフトコンパウンド・タイヤだった。予選2回目、長谷見はヘアピン通過地点で1回目より1秒以上も速い空前のラップを刻む。だが、最終コーナー手前でサスペンション・トラブルによりクラッシュ、ポール・ポジション獲得の夢は潰えた。それでも原型さえ留めなかったKE007は40時間に及ぶ修復作業を経て決勝に出走、11位完走を果たすことになる。写真は雨中の決勝を走るKE007と長谷見の勇姿。
(黒井尚志) |