1988年
IMSA シリーズ「タイヤが明暗を分けた最終戦」
 スポーツプロトタイプカーによるレースの最高峰といえばフランスのル・マン24時間で、日欧の耐久レースはそのカテゴリーに準じたレギュレーションで開催されてきた。アメリカにもこれに類似したIMSAというレース・イベントが存在していた。そこで総合優勝を争っていたのはル・マンに参戦するグループCカーに相当するIMSA GTPというクラスだった。この両者の違いはグループCが燃料タンク容量99Lで燃費制限付きだったのに対し、IMSA GTPは120Lで使用燃料無制限だったことだ。

 それ以外はレギュレーションの多くがル・マンと共通していた関係で、1984年からポルシェ962が投入されるとIMSAにはヨーストやブルンなどヨーロッパの一流チームが参戦するようになっている。これにトヨタと日産も加わり、車種バリエーションが豊富だったこともあって日欧の耐久レースを凌ぐ人気になっていた。人気の理由はもうひとつある。それはハンデ戦だったことだ。ただし日本のスーパーGTのようなレースごとではなくシーズン開始前と中盤に一度見直すだけで、細かいハンデの変更はない。これは前年に勝てなかったチームがクルマを仕上げてくると爆発的な連勝記録を残す可能性があることを意味していた。

 このツボにはまったのが1988年の日産で、IMSA記録となる8連勝を含む12戦9勝という驚異的な成績を残している。これは前年まで無敵だったポルシェが重いハンデを背負っていたことに起因する。これに対して日産は前年まで十分なポテンシャルがありながらパワートレイン系で大きな弱点を抱えて完走できなかったことから重量ハンデを背負わされずに済んでいたからだ。そのうえで弱点だったパワートレイン系を強化してシーズンに臨んだことから秘められたポテンシャルが一気に開花したのだ。日産はシーズン途中でトップ・ハンデを背負わされたが負担重量は少なく、そのときすでにセッティング・レベルが他車より進んでいたこともあって最後までポルシェを凌駕している。

 この年、IMSAへの参戦を開始したTWRジャガーはダンロップ・タイヤを装着してシリーズ第1戦のデイトナ24時間でいきなり1〜3位独占という衝撃的デビューを飾っていた。しかし、1000kmレースが多い世界スポーツプロトタイプ選手権(WSPC)と異なりIMSAは500km以下のセミ・スプリントが多く、ジャガーは初めてのアメリカでセッティングに苦しめられることになる。加えてトヨタがIMSAで総合優勝を争うGTPクラスで参戦を開始するのは翌年からで、日産の驚異的な成績はこうした様々な偶然が重なり合った結果だった。

 だが、その1988年IMSAシリーズ最終戦でジャガーが日産を終始圧倒し余裕で総合優勝を飾っている。それはまさしくタイヤの勝利だった。

 最終戦はサンディエゴに近いカリフォルニア州デルマーの競馬場にある広大な駐車場に作られた特設コースで開催された。そのコースは1周わずか1.5マイル(約2.4km)しかなく、両側はコンクリートウォールで挟まれていた。したがってドライブ・ミスをすればコンクリートに激突するのは必至の難コースだった。さらに問題なのは舗装で、駐車場特有の表面がツルツルできめ細かいアスファルトであることだ。これは一般道の舗装よりはるかに路面ミューが少なく、ドライビングには細心の注意が必要だった。

 それでもさすがエンターテインメントの国アメリカだけあって、コースレイアウトは凝っていた。わずか1.5マイルのコースに2本の直線と低、中、高速コーナーを配置して観客席をコースのすぐ脇に設置し、アベレージ速度が120km強にすぎないのに観客は高速サーキットを凌ぐ迫力を堪能できるコースにしていた。

 しかし、こんなコースに合うタイヤなどあるはずがない。そのため各陣営ともストリート・コース用のソフト・コンパウンドを用意していた。そのなかで圧倒的にパフォーマンスが高いと思われていたのがダンロップで、それまでデイトナ24時間とセブリング12時間を除くIMSAシリーズ11戦で9勝していた日産陣営はレース前から、「決勝でダンロップに勝てるわけがない。ウチのクルマもダンロップを履いたジャガーとはとてもじゃないが勝負はできないよ。たぶん、相手は自滅もしないさ」と敗北宣言している。

 そして日曜日の決勝レースでこの読みは見事に的中する。その日は午前中から各種サポートレースが開催されていた。しかし、平穏にすんだのは二輪レースくらいで、他のレースはクラッシュが頻発しメインのIMSAが始まるころには漏れたオイルでコーナーの各所が黒光りする有様だった。

 こうしたなかで決勝は最初から大荒れの展開で始まっている。なにしろそれまでシリーズを席巻してきた日産はタイヤのグリップ不足に泣き3、4位争いをするのがやっとだった。そして日産のエース格であるジェフ・ブラバムはレース中盤で前車を抜こうとしてクラッシュしリタイヤに終わっている。残る1台の日産は首位争いに加わることなく4位がやっとだった。

 勝ったのはダンロップ・タイヤを装着したヤン・ラマース/マーチン・ブランドル組のジャガーXJR-9。しかし、彼等も順調にレースを進めたわけではない。実は混戦のなかで一時6位まで順位を落としていたのだ。原因はコース上に漏れたオイルに足を取られてコーナリングできず、エスケープゾーンに回避しなければならなかったこと。しかし、彼等はすぐコースに復帰し、1台ずつ丹念に前車を抜いている。これはダンロップのタイヤが他陣営より制動性に勝り、コーナーの入り口でインを突きやすかったためだ。しかも立ち上がりのグリップもよく、一度抜いてしまえば差はジワジワ広がっていた。

 そして彼等はけっして無理をしなかった。というよりグリップ力の違いから無理をせずに確実なポイントで抜けばよかったのだ。レース前に「たぶん相手は自滅もしないさ」と言った日産陣営の読みは当たった。ラマース/ブランドル組のジャガーは終わってみれば2位以下をはるか後方に引き離す圧勝だった。


(黒井尚志)

優勝したヤン・ラマース/マーチン・ブランドル組のTDRジャガーXJR-9。コースはこのようなコンクリートウォールに挟まれており、スリッピーな路面に足を取られてリタイヤが続出、300km、2時間半弱のレースながら出走21台中完走はわずか10台だった。


ゴールの瞬間。ヤン・ラマース/マーチン・ブランドル組は一時6位まで順位を落としたが、終わってみればこのように独走状態だった。彼等はスリッピーな路面でダンロップの圧倒的な制動性を生かして確実に前車を抜いていった。