1997年
1997年 全日本GT最終戦
 1995年1月17日午前5時47分、淡路島北沖の明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が発生した。これが6434名の犠牲者(ほかに行方不明3名)を出した阪神淡路大震災で、神戸に本社を置くダンロップも甚大な被害を受けてモータースポーツ活動の1年間休止を余儀なくされている。ダンロップは翌1996年に活動を再開したが、一般的にモータースポーツは1年間活動を休止すればポテンシャルを回復するには2年かかるといわれており、厳しい現実が予想されていた。

 だが、ダンロップの震災復興は思いのほか早かった。それを証明したのが1997年の全日本GT選手権で、田嶋栄一/マーク・グーセン組の5ZIGENスープラ/ダンロップが開幕戦の鈴鹿GT300kmで6位に入り、タイヤがすでに十分な競争力を持っていることを証明している。圧巻は雨の第2戦・全日本富士GTレースだった。このレースで田嶋/グーセン組は予選から好調で4番手をキープしていた。雨の決勝ではさらに調子を上げ、前車を次々に追い抜いてついに首位に躍り出ている。しかし、快走はそこまでだった。雨中の限界走行がたたって66周で競われるレースの40周目にスピンを喫しリタイヤしたのだ。このレースでダンロップのレインタイヤは優れたパフォーマンスを発揮したが、それを最終リザルトに結びつけることはできなかった。

 田嶋/グーセン組にとってはこれがケチのつきはじめで以後は6位、リタイヤ、12位と精彩を欠くことになる。こうして表彰台にも上がれないまま、彼らは10月25日の最終戦・SUGO GT選手権にやってきた。このレースでセットアップと予選のタイムアタックを担当したのはグーセンで、1年間苦心した末にクルマとタイヤの熟成も煮詰まり予選は6位とまずまずの結果を残している。

 そして迎えた雨の決勝は1周目の1コーナーでいきなり波乱が起きている。なんとポールポジションからスタートした飯田章のRAYBRIG NSXがスピンして一気に中団まで順位を落としてしまったのだ。この機に乗じて首位に立ったのは黒沢琢也の童夢NSXで、快調に後続を引き離していく。これに対して5ZIGENスープラ/ダンロップは飯田のスピンもあり、順位を一つ上げ5位で淡々とレースを続けていた。

 こうした序盤の波乱からしだいに落ち着きを取り戻したレースも中盤にさしかかったところで、各車がタイヤ交換とドライバー交代、給油のため続々とピットに入ってきた。そのときコース上はすっかり乾いており、すべてのクルマがスリック・タイヤを装着している。その作業が一通り終わった時点で黒沢と交代した童夢NSXの山本勝巳、ワイン・ガードナーと交代したパワークラフト・スープラの長坂尚樹、関谷正徳と交代したトムス・スープラの鈴木利男、金石勝智と交代したセルモ・スープラの竹内浩典の順になっていた。さらに5位はスタート直後のスピンから猛烈に巻き返した飯田と交代したRAYBRIG NSXの高橋国光で、グーセンと交代した5ZIGEN/ダンロップはスープラの田嶋は6位だった。

 しかし、レースはここから思いもよらぬ展開を見せることになる。すべての車両が通常のピットストップを終えて十数周がすぎた57~58周目に再び雨が降り始めたのだ。だが、レースは残すところ20周強しかない。そのためほとんどのチームがスリック・タイヤのまま最後まで走りきる決断を下している。そこで最初の犠牲になったのは田嶋だった。彼はコース上のどのクルマより速く走り、勝負を賭けた末にスピンしたのだ。しかし、これで順位をひとつ落としたものの、再び猛烈なスピードで追い上げてすぐ6位に返り咲いていた。そしてここから信じられないことが次々に起きている。

 始まりは残り12周となった69周目に首位を走っていた山本がスピンし、一瞬にして首位争いから脱落したことだ。ここで首位に立ったのが竹内だが、彼も雨の餌食になり戦列を離れている。代わって首位を奪った鈴木利男も、その後ろの長坂もスピンし、残り5周となったところで田嶋の5ZIGENスープラ/ダンロップがついに首位に立った! これは田嶋がスピンから追い上げを開始し、6位に返り咲いてからわずか5周の出来事だった。

 この間、田嶋は他車より3~5秒も速くサーキットを駆け抜けている。この状況にピットは気が気でなく、次は田嶋がスピンするのではないかとハラハラしていたという。しかし、田嶋は慎重だがペースをそれほど落とすことなく残り5周を走り抜き、そのままチェッカーフラッグを受けている。終わってみれば2位を35秒も引き離す圧勝で、レース後に田嶋は、

 「淡々と走っていたら前がボロボロと落ちて行った。辛かったけど富士の第2戦を思い出してもらえればね。今回はスリックだったけど、同じダンロップのタイヤだし。この勝利はダンロップ・タイヤに負うところが大きい」

 と語っている。こうして波乱に満ちた1997年シーズンは劇的に幕を閉じることになった。それは阪神淡路大震災で活動休止を余儀なくされたダンロップの復活を高らかに宣言する勝利でもあった。



(黒井尚志)


田嶋栄一/マーク・グーセン組の5ZIGENスープラ/ダンロップ。写真はいずれもコースが完全なドライだった中盤。このあとまさか土砂降りの雨になるとは誰も予想していなかった。