1993年
タイヤの選択が明暗を分けた一戦 T・ダニエルソン、渾身の一撃
 全日本のトップ・フォーミュラに外国人ドライバーがフル参戦するようになったのは1979年からだった。そのフル参戦外国人ドライバーのレベルが一気に上がったのは1983年で、F1出走経験のあるジェフ・リースが生沢徹の率いるチームI & I からダンロップ・タイヤ装着で出走しチャンピオンに輝いている。これを機にF1を目指す海外の若手が続々と参戦するようになった。その中で最強のメンバーが揃ったのは1993年だった。
 
 同年の全日本F3000に参戦した外国人ドライバーは5戦のみ参戦したエマニュエル・ナスペッティを含めて12人いる。このなかでチャンピオンの最有力候補と見られていたのが史上最強の外国人ドライバーと言われたロス・チーバーだが、ほかにも大物がズラリと揃っていた。
 
 のちにF1でフェラーリに在籍しチャンピオン争いにも顔を出したエディ・アーバインと、ウィリアムズとジョーダンでF1通算3勝をあげたハインツ・ハラルド・フィレンツェンがその代表格といっていい。さらに、前述のナスペッティも元F1ドライバーだったし、翌年にシムテックからF1に参戦したローランド・ラッツェンバーガーや、1999年に事故で骨折したミハエル・シューマッハの代役でフェラーリから出走したミカ・サロも含まれていた。
 
 これだけのメンバーが揃っていたのだから、シーズンが始まると勝者は目まぐるしく変わっている。第1戦はロス・チーバー、第2戦は星野一義、第3戦はマウロ・マルティニ、第4戦はエディ・アーバイン、第5戦は開催中止、第6戦はマルコ・アピチェラ、第7戦は濃霧で中止、そして第8戦は鈴木利男と、勝者はすべて異なっていた。それでも第9戦はチーバーが、第10戦は星野制している。
 
 そして迎えた最終戦のミリオンカップカードレース・ファイナルラウンド鈴鹿。優勝候補はともにシーズン2勝を挙げているチーバーと星野、そしてここまで優勝1回、2位2回、3位3回と表彰台に上がった回数がもっとも多く安定しているダンロップ・タイヤ装着のアーバインによる争いと思われていた。ところが、ここに思わぬ伏兵が現れている。1990年から全日本F3000に参戦している、ダンロップ・タイヤを装着したトーマス・ダニエルソンだった。
 
 ダニエルソンはそれまで全日本F3000未勝利でポール・ポジションを獲得したこともなく、1993年も3位が2回と5位が1回あるだけで目立った成績は残していない。ところが前日の予選で最初の異変が起きている。その予選1回目。雨はあがっていたが、コースの一部はウェット路面という状況で、またいつ雨が降り出すかわからない不安定な空の下で争われた。
 
 ここで渾身のタイムアタックを決めたのはチーバーで、後続を約1.5秒も引き離す驚異的なタイムを叩き出している。そのあとに続く2位がダニエルソンで、3位以下は大きくタイムを引き離されていた。この時、チームはまず無制限に使用できるカットスリックを3セット投入しダニエルソンに路面の変化に馴れさせた。そしてQFタイヤを装着してタイムアタックをし、この時点で2番手タイムを叩き出した。そして午後に予定されていた予選2回目は豪雨によりキャンセルされ、1回目のタイムが公式予選タイムとしてそのまま確定している。
 
 パッシングポイントの少ない鈴鹿では、大きなフロント・ロウ獲得となった。
 
 翌日の決勝は前日とうって変わり晴天に恵まれた。フロント・ロウはアウト側にチーバー、イン側にダニエルソン。コースは前日の雨で特殊舗装の表面に詰まっていた細かいゴムのカスが流され、代わりに細かい砂に覆われてスリッピーな状態になっていた。
 
 このコースコンディションにもっとも的確に対応したのがダンロップを装着するダニエルソンだった。彼は目まぐるしく変化していた前日の予選でも見事に対応しており、決勝でも見事にスタートを決め1コーナーに飛び込んでいった。それでもポール・ポジションからスタートしたチーバーはアウトからかぶせて首位をキープし、そのまま1周目をトップで通過している。
 
 しかし、タイヤがピタリと決まったダニエルソンと外れたチーバーの差は歴然だった。ダニエルソンは2周目のデグナー立ち上がりでシフト・チェンジに手こずり失速したチーバーをあっさりとかわして首位に立つと、ジワジワと引き離していった。そしてチーバーとの差を3秒以上に広げると、その差をキープしたまま余裕のレースでチェッカー・フラッグを受け、93年シーズン7人目のウィナーとなっている。それはダニエルソンにとって最初で最後の全日本F3000制覇だった。
 
 「柔らかめのタイヤを選択し、序盤で無理をしてでもマージンをかせぎ、逃げ切る作戦が成功した。これもベストセッティングをしてくれたチームの力も大きい」とダニエルソン。
 
 チームの柳田春人監督も「今日の勝因は、フロント・ロウからスタートできた事に尽きる」と予選時の路面変化に応じたタイヤ戦略が起因とも言えるコメントをしている。


 一方、最終戦までタイトル争いをしたアーバインについても触れておかなければならない。彼はセッティングの決まっていないクルマで決勝を走り抜き、表彰台にはわずかに及ばなかったものの4位でフィニッシュし、シリーズチャンピオンを獲得した星野と同ポイントであったが、優勝回数の差によりランキング2位で終えている。そしてこれが彼にとって最後の全日本F3000となり、フィレンツェンらとともに翌年からF1に参戦し数々の名勝負を残すことになった。




(黒井尚志)

レース終盤に悠々の一人旅をするトーマス・ダニエルソン。このレースは彼にとって全日本F3000唯一の優勝だった。



優勝したダニエルソン。奥は2位のチーバー、手前は3位のギルバート−スコット。