1985年
「雨の鈴鹿」スリックで走ったリース。彼は偉大な勇者だった。
 モータースポーツはときに意外な道具を使ったチームが意外な結果をもたらすことがある。その結果が勝利に結びつかなくても、観衆を熱狂させる主役を演じることがある。リザルトにはない観衆の鮮明な記憶残るレースとはそういうものだ。

 1985年9月29日に鈴鹿サーキットで開催された全日本F2選手権第7戦・鈴鹿グレート2&4はまさにそのようなレースだった。

 伏線は前年12月に引かれている。ヤマハが5バルブ6気筒のOX66で全日本F2に参戦すると発表したことだ。チームは森田政治率いるスピードボックス、デビュー戦に用いるシャシーは1年落ちのマーチ842、タイヤはダンロップ、そしてドライバーは元F1ドライバーでダンロップを装着して1983年の全日本F2チャンピオンに輝いたジェフ・リースだった。

 しかし、ヤマハOX66のデビュー戦はたった1周で終わっている。時間不足でシーズン開幕前のテストをほとんどできないままぶっつけ本番で臨まざるを得ず、スタート前のウォームアップ・ランでエンジン・トラブルが発生したのだ。その後、第3戦で3位に入賞したが、シーズン中盤までは実戦を通したエンジン開発の途上にあったため目立った成績は残していない。だが、結果を恐れずレースごとに仕様変更を繰り返してきたOX66はシーズン終盤で熟成の域に達している。

 そして迎えた第7戦の鈴鹿グレート2&4で、リースの操るマーチ842改ヤマハ/ダンロップは予選3位に入っている。上位2台は中嶋悟と星野一義で、いずれも熟成度が高いホンダ・エンジン搭載車だった。そしてリースの後ろには2台のホンダ・エンジン搭載車が続き、予選6位にはホンダよりはるかに非力なBMWエンジン搭載車+ダンロップに乗る長谷見昌弘がホンダ勢の一角を崩して続いていた。じつはこれには理由がある。同年シーズン中盤に長谷見は記者に問われてこう語っていた。

 「今年のダンロップはリヤのグリップがよく、安定している」

 ヤマハ・エンジンの熟成が進んだのもタイヤの安定が大きな要因のひとつだったことはいうまでもない。そして、マーチ842ヤマハに乗るリースは決勝でその安定したダンロップ・タイヤでとんでもない勝負に出ることになった。その日、朝から降り続いていた雨は決勝が始まるころにはかなり弱まり、すぐにでも止みそうな気配が漂っていた。それでも路面は濡れたままで、ドライ・タイヤで走れる条件ではなかった。

 しかし、雨はすぐに止み、レース中盤にはレコードラインが乾いているはずだと予想したリース陣営はダンロップのスリック・タイヤを装着している。そのためまだ路面がたっぷりと濡れていたスタートはとうぜんレイン・タイヤのほうが圧倒的に早く、リースは序盤に順位を落とすことになった。それでもこれは想定の範囲内で、中盤以降に必ず勝負時がくるはずだった。

 ところが、雨は上がったもののコースは一向に乾かず、相変わらずクルマの後方には激しい水しぶきが上がる始末。それでもリースは必至で6番手を維持しながら上位に食らいついていたが、10周目の1コーナーでついにスピンしコースに戻ったときには9位まで順位を下げていた。

 リースとダンロップのスリック・タイヤが真骨頂を見せたのはここからだった。30周で争われる決勝レースも20周を過ぎるころ、やっとレコードラインが乾き始めたのだ。ここでリースは一気にペースを上げ、ファステストラップを更新しながら前車を次々に抜いていく。そして最終ラップにはスプーンカーブでホンダ・エンジン搭載のケネス・アチソンをも抜き去り、とうとう3位に入賞している。

 リースが見せたこの後半の快走にファンが熱狂したのはいうまでもない。ただ、惜しむらくは決勝レースが30周で終わったことで、もうすこし周回数が残っていれば逆転優勝したのは間違いないだろう。それでもヤマハOX66にとってはシーズン2回目の3位入賞で、ここからエンジンの完成度が一気に高まり、つぎの最終戦も3位に入賞して翌年の市販開始へとつながっていく。1985年鈴鹿グレート2&4はそのターニング・ポイントとなるレースだった。

 それにしても、あのレースを知る一部の関係者やファンが今なお想像して止まないことがある。

 「カット・スリックで走ったら圧勝だったかもしれない」

 しかし、それを言ってもきりがないだろう。天気だけは誰にも予測できないことで、そのときはすぐドライになるか、逆に延々と降り続けるかもしれないからだ。ただひとつ言えるのは、リスクを冒して攻め続ける挑戦者を観衆はときに勝者より熱狂し、勇者として迎えるということだ。



(黒井尚志)

ヤマハOX66搭載のマーチ842/ダンロップで雨の鈴鹿を疾走するジェフ/リース。これはレース中盤だが、まだコースが濡れておりスリック・タイヤで走るにはかなり厳しいコンディションだった。



右が3位になったジェフ・リース。レコードラインが乾き始めた終盤は猛烈なスピードで順位を上げ、もう少し周回数が多ければ逆転優勝もあったのではと思わせる快走を見せた。



当時の鈴鹿に設置されていたダンロップブリッジをくぐり抜けるF2マシン。これはレース序盤でゼッケン1が中嶋悟、その後ろの青と黄色のマシンがリースの操るマーチ842ヤマハ/ダンロップ。水しぶきが上がる中をスリック・タイヤで走り、しかもレイン・タイヤ装着組とトップ争いをしたのは驚きだった。