2008年
アンデルス・オロフソン、彼は最高のパートナーだった――長谷見昌弘
日本初の本格的なサーキット・レースは1963年に鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリだった。その当時から外国人ドライバーが国内レースに参戦していたが、その多くは招待選手またはゲスト参加だった。それが日本ドライバーと同じくレギュラー参戦するようになったのは1980年代に入ってからだ。そのうち何人かはF1参戦を目指すステップアップの場として日本のレースに参戦し、夢を果たして世界に羽ばたいている。

その一方で日本を拠点とし、長年にわたって走り続けたドライバーも少なくない。そのなかで日本人のパートナーとして記憶と記録の両方を残した最高のドライバーはスウェーデンからやってきたアンデルス・オロフソンではないだろうか。グループAとグループCで彼と4年間チームを組んだ長谷見昌弘は語る。

「オロフソンは間違いなく最高のパートナーだった」

そこで今回は異質のヒストリーとしてオロフソンその人について述べることにしよう。彼は1952年にスウェーデンで生まれ、1974年にスウェーデンのフォーミュラ・フォードでレース活動を開始している。その後は順調にステップアップし、1977〜78年に2年連続でスウェーデンF3チャンピオンになり、同年のヨーロッパF3選手権でもランキング2位に輝いている。しかし、その後はチームに恵まれず、耐久レースやツーリングカー・レースに転じていた。そのオロフソンが初めて日本にやってきたのは1985年10月に開催されたWEC富士で、マーチ・ポルシェ85Gで参戦している。

彼の名が日本のレース・ファンに一躍知られるようになったのは1986年のことで、11月のインターTECにワークスのボルボ240Tでジョニー・チェコットと参戦、2位を3周も引き離す圧倒的な速さで優勝している。この優勝がきっかけになって翌1987年に全日本スポーツプロトタイプ選手権は開幕戦から、グループAもシーズン途中からレギュラー参戦を開始した。そして1989年から両カテゴリーで長谷見昌弘とコンビを組むことになる。この年、彼はダンロップ・タイヤ装着のリーボック・スカイラインRH31でシーズン3勝を挙げ、長谷見とともに全日本ツーリングカー・チャンピオンに輝いた。

翌1990年にはスカイライン史上に燦然と光る名車R32がデビューしている。その2年目となる1991年、彼はやはり長谷見とともにリーボック・スカイラインBNR-32ダンロップで参戦、シーズン6戦3勝の好成績で2度目の全日本ツーリングカー・チャンピオンに輝いた。ちなみにこの年にフル参戦したスカイラインBNR32は4台で、装着するタイヤはダンロップ、ブリヂストン、ヨコハマ、トーヨーとすべて異なっていた。

したがって91年のグループAはタイヤの争いでもあったわけだ。その乱戦を制したオロフソンはいったいどこが優れていたのか。ともにチームを組んだ長谷見は証言する。

「長い間レース活動していて、オロフソンはパートナーとして最高でした。彼は一発の速さこそありませんでしたが、それは問題ではありません。予選のタイムアタックは得意なほうが担当すればいいのですから。彼が優れていたのは決勝で速いラップ・タイムを正確に刻み続けることでした。それは真夏の暑い日や雨のレースでも同じで、途中からタイムが落ちることはありませんでした。タイヤの使い方も巧かったですよ。無理な走りはしませんでしたね。確実に計算できるドライバーで、すごく楽でした。だからグループAでコンビを組んだ3年間で2回もタイトルを取れたんですよ。レース前の打ち合わせもかんたんで、メカニックにつまらない注文をすることもありませんでした」

その後、彼は1993年から1996年まで活動の拠点をヨーロッパに移している。しかし、1997年に日本での活動を再開している。これだけ長く日本で走り続けることができたもの、異国の文化に順応できたことと無縁ではない。長谷見は言う。

「彼は日本食が好きで、外国人から見れば気持ち悪いはずの納豆でもウニでも好んで食べていました。それも日本で長い間走ることができた秘訣でしょう。レースから離れると品のいい紳士でした」

オロフソンは日本でのレース活動を再開した1997年にマクラーレンF1−GTRでル・マン24時間にも参戦し、総合2位に入賞している。そして翌1998年に現役を退き、生まれ故郷のスウェーデンに戻ってツーリングカー・レースに参加するドライバーのマネージャーを務めていた。

そのオロフソンは2008年1月22日、睡眠中に逝去された。情報はすぐ長谷見のもとに伝わった。長谷見は言う。

「あまりにも突然で驚きました。それですぐに弔電を打ち花輪を贈るよう手配しました。それにしてもまだ55歳、若かったんですけどね」

彼がスウェーデンで育てた生きのいい若手を連れて日本に凱旋するのを心待ちにしていた人々も少なくなかったのではないだろうか。だが、その日がやってくることはもう永遠にない。

(黒井尚志)

1991年全日本ツーリングカー選手権第5戦 オートポリスを制した長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のリーボック・スカイラインBNR-32ダンロップ。このレースは4台のスカイラインが同一周回で最終ラップにもつれ込む大混戦になり、最後は星野一義/鈴木利男組を抑えて優勝した。
(写真提供:ニスモ)



1980年代後半から1990年前半にかけてグループAとともに人気があったのがグループCで、日産自社開発マシンに初勝利をもたらしたのも長谷見/オロフソン+ダンロップの組み合わせだった。写真は1990年7月の全日本富士500マイルを制し、表彰台の中央に立つ長谷見とオロフソン。
(写真提供:ニスモ)